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矢作 オレはすごく不器用だから、文章を作るのに、すごく手間がかかるんだよ。粘土細工を作るように書くんだよ。だから、ワープロというのは、劇的にぼくの文章を変えたと思うね。ワープロを使ったのは、「スズキさんの休息と遍歴」からなんだけど。ある意味でほんとに役にたったのは今度の「あ・じゃ・ぱ!」からで。あれは、850枚を「NAVI」の連載として書いて。それを細胞分裂のようにバラバラにしたわけ。新潮社の人間国宝のような校閲のおばさんもパニック起こしていたけど、そういうことを平気でワープロを使ってやったわけ。ワープロの検索機能がなかったら、あれは書けなかった。
あれは、レイモンド・チャンドラーの「さらば愛しき人よ」を全部解体して使っているから、筋書きまったく同じですよ。章構成もほとんど同じ、その章の始まりの言葉を全部同じにしてあるわけ。そういうシャレたことをしたのも、ワープロがあったからだよ。
10数年前だったら盗作かパロディかでもめたんだと思う。それを気にしていたんだよ。だけど、翻訳者からも早川書房からも何も言ってこないし、それどころか、翻訳者が面白がっているらしい。だから、意識が変わってきている、ということだと思うんだよ。
それをやるにあたって、チャンドラーの全部の文章をスキャナーで読み込んで、Macに取り込んだわけ。デジタル化したわけ。それを、”マーロウがこうしている”というような条件検索にかけて、全部バラして、それから全部ブッこんで、それで文章の頭の部分を自分の文章に書き換えていったわけ。その中に、挿入するようにこれまで書き貯めたものをここにぶっこんで、伏線をここにひいて、と…やって、それを下敷きにしたわけ。だから、これは、ワープロが発明されたからできたことだけれども、ワープロが発明されないで、超人的な頭脳をもってこれをやったら、盗作になったんじゃないかと思うんだよ。まったく同じ文章が入っているからね。登場人物の名前も同じものもあるしね。
それに気づいた人も何人か文芸評論家にはいるんだけれども、面白がっているだけで、何にもいわないんだ。そこを挑発して、誰かに考えて欲しい。ぼくは、あれは盗作ではないという自信があるし、面白いでしょ、ぼくの作品だ、という自信もある。だけど、チャンドラーの小説も使いました。翻訳も平気で使いました。なかには、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の有名なシーンが延々と4頁もまるまる使ってあります。でも、誰も気づかないほど、ひとつの小説になっているでしょ、と。脱構築とはこういうことを言うじゃないですか、と言いたいわけ。
でね、誰か、これはとんでもない野郎だ、って言って欲しいわけ。それで論争したいね。たしかに、20年前だとこれは盗作だと思うね。今これは盗作なのか。いま、インターネットに自分のページを開くとしたら、これを持ちかけたかったんだ。だけど、アシスタントが…高校2年のオレのガキだけど…うまく動かせなくてまだやってない。もうひとつは、これを仕掛けても、ネットでやりとりしてる連中が乗るだろうか、という思いもあった。これは、どっちかというと朝日新聞かなにかに仕掛けないとしょうがないのかな、という思いもある。
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